僕の弾き語りの代表曲とも言ってもいいんじゃないかな。ライブでもよく演奏している曲で、特にバンドマンやシンガーソングライターの人に、この曲好き!と言ってもらえる事が多くてありがたい。
だけど、初めてこの曲を投稿する時は歌詞をオブラートに包まなさすぎて、とても怖かったし、嫌われて見放されてもいいやという覚悟で投稿した事を覚えている。
アサモドキの1stフルアルバムの曲が出揃った後、燃え尽きてしばらく曲を作ってなかった時期に久しぶりに作った曲で、次はこの曲を軸にアルバムを作ろうと思いながらも、4年の月日が流れてしまった。それでも未だに、この曲を歌うと自分を許せる気持ちになるというか、自分の今の活動スタンスはこの曲から始まったんだなという感慨に耽る事が出来るので、今でも全然歌える曲。ライブの最初とかに歌うと緊張がスッとぼぐれて、「これで良いんだ!」ってちょっと元気になるので、歌詞の内容は尖ってるように見えるけど、僕にとっては自分に優しく出来る数少ない曲で、きっと僕みたいな趣味か仕事かで葛藤している人の心にも飴玉のように優しく溶けてくれるんじゃないだろうか。
この曲を作るまでは「20代でバンドが軌道に乗らなければ音楽を辞める!」とか、実家を飛び出して音楽を続けた場合のメリットデメリット、音楽を辞めて結婚した場合のメリットデメリットなんかをひたすらノートに羅列するくらいには人生という迷路の袋小路に入り込んでしまっていた。
今も葛藤は完全になくなった訳じゃないんだけど、趣味でやるのはダサいとか、仕事にするのは無理とかは、結局他人を見て羨んだり蔑んだり、自分以外の物差しで世界を測っているから導き出してしまう思い込みや勘違いでしかないと気付いた瞬間があって、自分だけの尺度で世界を見た時に、それでもそこに高く聳え立つタワーこそが本当の自分が目指したい事なんだと認識を改めた。
要するに、自分が納得していればそれでいいんだ。君が他人から認められないと自分が納得出来ないんだったら、君は自分の納得の為に他人を利用し尽くせばいい。
僕の「納得」には他人の意見は関与しなかったというだけだ。それは他から見ればただの現実に平伏した諦めの果ての仕方なくの「納得」にも見えるだろう。でも、そんな指摘も僕にとっては他人の尺度あって、音楽で成功するより大切にしたい事が僕にはあっただけで、その事を音楽を趣味にすると決めた言い訳にする気もないし、言い訳する必要もないんだと今は思える。
それと、
「自分が納得していればいい。」
と
「自分さえ良ければいい。」
は、同じ意味のようで全く違う。
「自分さえ良ければいい。」という考え方には、僕は全く「納得」出来ないからだ。
自分の夢の為に他人を出し抜いて蹴落としたり、自分を支えてくれたパートナーを夢を叶える為とか言って切り捨てたり。病気の家族がいるにも関わらず、自分の好きな事だけして葬式にも出なかったり。
そんな成功者が語れば、美談にさえ聞こえる苦渋の決断や苦労話には「自分さえ良ければいい」の精神がそこかしこに蔓延っているように感じて、僕は反吐が出てしまう。
夢を追うバンドマンだからと、夢の為だと色んな事を犠牲にして、色んな物を見ないようにして、気付いたら周りには誰もいなくなってしまうなんて、悲しすぎやしないだろうか。
夢を追うのが悪いと言ってる訳じゃない。それで自分の人生に納得出来るんだったらそれでいい。だけど、その夢を理由にして大切な人を傷つけるのは僕は間違っていると思う。(あくまで、僕の尺度では。)
だから、大切な人の為に夢を諦めた人を僕は大いに尊敬する。夢を叶えるっていうのが多くの人に賞賛される代償に、たった1人を見捨てる事なんだとしたら、夢なんか叶わなくていい。
諦めただけと言われるのが怖いなら、それすら歌にしちゃえばいい。そんな風に歌い続ける事で、僕は僕の人生と夢を諦めた人の人生を肯定していきたい。
メジャーな映画や漫画、音楽も諦めなければ夢は叶うとかそんな事ばかり言ってて、夢の為に傷ついた人を救ってくれるような言葉はどこにも見当たらない。これらが全部、僕や君のルサンチマンだとしても、一つくらいそんな芸術が音楽があってもいい筈だろう。
そんな音楽をやり続けるのが、言うなれば僕の夢だ。
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