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執筆者の写真nigetasakana1231

末路

今回のアルバムで唯一の早い曲。実家でギターを掻き鳴らしながら勢いで作った。なんだか中島みゆき感を感じるのは何故だろう。実家で配信ライブした時の映像を使った珍しく顔出ししてる謎PVがある。


人生という道には幾度もの岐路がある。その分れ道を、その都度取捨選択して僕らは道を歩んで行く。僕もいくつもの分れ道を悩みながらも選んで歩いて来た。次の分れ道はいつ訪れるのだろう。それに怯えながらも、この道が実はあみだくじの最後の直線である可能性を少しでも期待してしまう自分がいる。

何かを選ぶ事は何かを選ばない事。その度に捨てて来た物を見ないふりして、飲み込んだ涙の味をなるべく思い出さないように生活を続ける。もうそんな残酷な選択を迫られる事のない日々を願いながら。


人生を道に例えるとしたなら、今歩いている道の景色は、僕の選択の末に見ている景色で、それがどんな平凡な景色であっても、それを嘆くのはお門違いだ。

しかし、僕が道だと思っていた物が実は頭の上から見たら「あみだくじ」だったとしたらどうだろう。

僕が選んだと思って曲がった道は、あみだのルール通りに曲がった道で、生まれた時から結末は決まっていたんじゃないだろうか。そして、生まれ落ちる最初のスタート位置でさえ自分では決められない。そして、1番最後にあるのはアタリでもハズレでもなくて、どの道を選んでも等しく「死」という現実だけだ。


もし、そうだとしたなら僕が今歩いているこの道はおろか、僕が生まれて初めて歩いた時も、進路に悩んでいた学生時代も、みんな等しく「末路」だったんじゃないだろうか。この道が始まった時から終わりに向かって落ちて行っているのなら、どの時点の曲がり道も全てが末路、終わりへ続く道だとも言える。


運命は変えられると人は言う。でも、終わる事は絶対に変えられないのなら、その途中で道を足したり引いたり捻じ曲げたりする行為はただの悪あがきで、僕はカワゴシセイトという最初の一本の線から辿って終わる運命を絶対に変える事は出来ないし、重力に逆らって戻る事も出来ない。僕は僕のまま。本質的な魂のレベルで言えば、どう足掻いても僕は僕のまま変われないんだと思う。


それなら、僕はその決められたカワゴシセイトという人格の中で、必死に生き抜くしかない。これは諦めに聞こえるかもしれないけど、自分自身の受容こそが僕らが取れる最大の自衛であり、競争社会への抵抗であり、本当に自分にとっての大切な物を見つける為の方法なんだと僕は思う。そして、忘れちゃいけないのはここが末路と言えど、僕らはまだ道の途中だという事だ。

あみだの1番底に落ちるまで、僕は歌う事を辞めない。

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