メンバーが「俺らはもうワンマンライブはやらなくていいよな」と言った時に、その時は「そうだね」と頷いたけど、とても寂しくなって。
「あぁ、もう叶わないんだ」って、思ったら涙が出てきて、朝起きて通勤中の自転車乗ってワンマンライブがしたかったってメロディを呟いたら、こんな曲になった。
昨年、アサモドキ結成当時から親交のあったバンドの活動休止ワンマンライブを見に行った。僕らなんかより、よっぽど精力的に活動してて、才能に溢れた人達だった。そんな人達でさえ、ワンマンライブをして活動を休止してしまう。彼らにとっては悔しいワンマンライブだったのだろうけど、僕には彼らがとても羨ましく思えた。たくさんの人に惜しまれて、アンコールをやりきった彼らの笑顔は輝いていた。
僕は2度とあんな顔をする事は出来ないんだろうなと、客席の隅っこで呟いた。
「ワンマンライブがしたかった」と。
ワンマンライブって、バンドの一つの大きな目標であり、到達点であり、終着点でもある。
僕がワンマンライブをやりたい理由ってなんだろう。
曲をたくさん演奏したいから?それなら配信ライブでもたくさん演奏は出来る。
ワンマンライブという名前自体がなんだか集大成という感じで、とても憧れはする。だけど、無理矢理やったところで集客は2桁行かないだろうし、ライブハウスの貴重な1日を無駄にしてしまう未来しか見えない。それに、ブッキングライブと違って集客は自分達が呼べた数だけ。ライブを見てくれるのは来てくれたお客さんだけ。いつもみたいにライブを見てくれる対バンはいない。つまりお客さんがゼロだと本当にライブハウスの人だけに向けて2時間くらい演奏する事になってしまう。とてもじゃないけど、今の知名度でワンマンライブをやりたいなんてライブハウスには言えない。かといって、知名度を上げる為に今から頑張ろうとも思えない。それなら、ライブハウスじゃなくてスタジオとか配信でワンマンライブをしようとかも考えてみた。その方がお金も安くて済むし、お客さんが来なくても誰かに迷惑はかからない。
でも、こうやって考えてる内に、やっぱり僕が何故ワンマンライブがやりたいのかが分からなくなってくる。
ファンにより多くの曲を届ける時間をより長く、より密度の濃いライブをしたいから?だけど、それは結局自分の願望であって、僕の歌を2時間も聴きたい人なんて1人もいないかもしれない。
だけど、本当にもしも。本当に一人でもワンマンライブ見てみたいって言ってくれる人がいるなら、僕はワンマンライブをやる意味はあると思う。
お金とか現実的な話は置いておいて、望まれれば僕は何時間だって歌いたい。
ワンマンライブという言葉の輝きに目を奪われて、ただなんとなく、やらなきゃ一人前じゃないと思い込んで、それも出来ない実力の僕は無価値だと嘆いてるだけじゃダメだ。ライブは人と人との間にあるものなんだから、一方通行では成立しないんだ。
ワンマンライブって名前だけどワンマンじゃいけない。それがワンマンライブ。
ワンマンライブをさせてもらえる箱の期待に精一杯応えられるようにやれる事は全部やる。その日を作ってくれるスタッフはもはやバンドメンバーみたいに考える。来てくれるお客さんは対バンだと思って対話する。その日の演者は一人だけど、その日を作ってくれるのは、自分が今まで出会って来た全ての人の言葉や絆なんだと思う。自分1人が2時間楽しくカラオケするのがワンマンライブじゃない。
ライブが終わったら、来てくれた人と色んな話をして、自分の歩んで来た人生が間違いでなかったと。みんなに証明してもらうのがワンマンライブなんじゃないだろうか。
僕は怖くてまだ出来ないけど、いつか必ずやりたいと思ってる。もちろん、これを読んでいる君と一緒に。
一人でライブなんて出来ないんだから。
追記:12/2 (読まなくて大丈夫です)
10年以上音楽をやってるけど何度も音楽から離れた。その時の流れの中で疎遠になった人もたくさんいるし、新たに出会った人も少なからずいる。そして変わらず付き合ってくれる人もほんの僅かにいる。
だから、また最初から初めてみようと思う。やっぱり何にでも順番はある。いきなりライブハウスでワンマンライブなんて出来ない。アサモドキを組んで初めてライブハウスに出た頃と同じ気持ちでもう一度。もちろん、昔のように毎月とはいかないけど、ブッキングライブに出て地道にライブの感覚を取り戻して行きたいと今は思っている。そこで、新たに見つけてくれる人もいれば、また戻って来てくれる人もいるかもしれない。もうライブハウスに来れなくなった人ももちろんいるだろう。若く才能溢れる人と自分を見比べて落ち込む事もあるかもしれないが、僕のようにもう一度音楽をはじめた人や旧友に再開する事もあるかもしれない。そして、死ぬまでワンマンライブは出来ないかもしれないし、それでもいいと思っている。全ては可能性だ。踏み出さなければ、それらの可能性は0のままだ。その最初の一歩をずっと踏み出せず燻っていた僕の起爆剤になってくれたのが、Live House Pangeaのブッキングにしてayatoriというバンドのギターボーカル「藤原祐太」だった。彼との出会いはアサモドキ結成直後に遡る。当時PRIMALというバンドを組んでいた藤原くんは、明らかに負のオーラ全開の僕らに初対バンにも関わらずめちゃくちゃフレンドリーに接してくれたのである。その後も何度か対バンしたり、企画に出てもらったり、そしてブッキングの仕事を始めてからも声をかけてくれたり。本当にいい奴なのである。僕のライブハウスに戻りづらいという悩みも聞いてくれていて、それでも「また絶対呼びます!」と僕の卑屈な考えも意に介さず朗らかに言ってくれるのだ。そんな彼の言葉に何度救われていたか分からない。明らかに集客見込めなさそうな僕に「バンドなんてそれぞれ役割が違うんだから」とライブハウスの人がそれ言っていいの?!と思う事まで言ってくれる。だから、それが社交辞令だろうと僕は全然嬉しかったので、もし踏み出す決心がついたら藤原くんに連絡してみようと思っていた矢先の事だった。彼の方からブッキングの連絡が来たのは、これを書いている2週間前の事だ。
2024年1月22日。ここでは詳しくは書けないが、彼も自分の人生と戦っている。僕もこの日、新たな人生のオープン戦をやるつもりでライブをする。逃げた魚、初のバンド編成。初の4ピース。緊張しないわけない。それでも、ここから始めなきゃ。過去の僕が紡いだ縁が、今ここで新たなスタートラインになってくれた。その縁をしっかり掴んでくれていた藤原くんには感謝してもしきれない。大袈裟だなぁと笑われそうだけど、書かずにはいられなかったから、セルフライナーノーツに追記させてもらいました。長くなってごめんね。
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