今回のアルバムで1番新しい曲。ギリギリでレコーディングに間に合ったので、温めてきれていない部分は多いけど、どうしても今回収録したかった。
僕の曲はほとんど自分の事を歌にしていて、「君」という二人称を使っていても、それは突き詰めて言えば「僕」という鏡に歌っている事がほとんどで、明確に他者に向けて歌っている曲は実は極めて少ない。
この曲は、そんな極めて少ない二人称の「君」に向けた歌だという自覚がある。それでも、本当に最後まで突き詰めれば、それは結局は一人称。僕自身なのだけど。
そもそも、他人の心なんて誰にも分からない。誰かが「死にたい」と呟いたって、それが本心なのか嘘なのか誰にも見抜けないし、呟いた本人すらもよく分かっていない事は多いと思う。
誰かが「大丈夫」と笑ったって、本当に大丈夫なのか、無理をしているのかは本人にしか分からないし、本人ですら無自覚なのかもしれない。
そんな不確かな言葉から憶測し、相手を救いたいと思って言葉を紡いでも、相手にとっては全く的外れな言葉かもしれないし、そもそも相手にしてみれば僕が本心でそれを言っているのか確かめる術はない。下手をすれば、曲解されて見下しているとか、自分をいい人に見せたいだけだとか、心の弱い人に向けたビジネスだとか、そんな誤解を生んでしまうかもしれない。
だから、僕は明確な他者に対して歌詞の中で言葉を送る事が怖い。だから、それを全部自分に向けてしまう。自分と同じ境遇や考え方の人間にとっては、それが結果的にその人の希望や励ましになることはあれど、自分と全く同じ人間などいる訳がないのだから、僕の歌は誰かに届かなくても当たり前だとも思っている。他人の気持ちなんて分かる訳がないと、絶望して相手に届ける事を諦めた僕が書くのは、自分に向けた自虐と肯定の繰り返しであって、そこに自分と似たような誰かを救いたいとか不純な偽善が入り込む事は、誠実ではないとさえ思っていた。
それでも、ある日。一度しか会った事のない知り合いが自殺を仄めかす投稿をしていた。いてもたってもいられなくなった。だけど、リプライを送ったりDMを送る事は怖くて出来なかった。自分じゃない、他人に何を言われても「死にたい」と願う人の心なんて変えられないし、変えることが正しいのかすらも分からない僕には何もする事が出来なかった。本当に近しい友人やバンドメンバーが死のうとしたら、もちろん電話したり会いに行ったりしていたと思うけれど、SNSで繋がっているだけの、ただの「死にたい」の文字だけで判断して、そこまでするのは迷惑で空気が読めていない行動だと俯瞰している自分がいた。何よりその言葉を吐く事で楽になりたいだけかもしれないし、そんな気持ちが分かってしまうからこそ僕は何も出来なかった。
だけど、ずっとモヤモヤしていた。僕はその人の事を何も知らない。どんな人生を歩んでそう思ってしまったのか、本当はどんな人なのかも何も知らない。一つだけ確かなのは、この世界が死にたくなるくらいクソみたいな世界だと言うこと。
だから、僕は僕の視点で世界を敵にして曲を書いた。勝手に僕の想像でその人を優しい人にして、他の何もかもを悪者にした。本当はその人が優しい人じゃない自分勝手なクズでも、それは今この歌の中では関係ない。
僕はその人の本心は何もしらない。だけど僕はその人が歌う歌を知っていた。その歌を僕は好きだったから、きっと優しい人なんだと思い込んだ。そして、そんな優しい人が傷ついて死にたくなる世界はクソだと思った。ただ、それだけなんだけど、それが全てなのかもしれない。
だって、その人が「死ねなかった」ってまた呟いてくれた時、悪いけど僕は君がこの世界に負けないでいてくれて嬉しかったんだ。だから、これは結局は自分の為の歌なんだ。僕が歌にしないと耐えられなかったんだ。それでも聞いて欲しかったんだ。
生きていてよ。
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