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  • 執筆者の写真nigetasakana1231

もしも君が生きてたら-まえがき

 はっきり言って、この私小説が何の役に立つのか僕には分からない。

 同じ病を抱える人を元気付ける闘病日記でもない。困難を乗り越えて、成功したミュージシャンの自伝でもない。ただ、カワゴシセイトという一般人に起こった事実と、その時に感じた心象風景を淡々と書き綴っただけの駄文の羅列である。


 闘病と移植手術の末、大切な人が助かってハッピーエンドなら、お涙頂戴のエンターテイメントにも成り得ただろう。しかし、現実は映画のように都合良く奇跡が起こったりはしなかった。


 これは出来るだけ脚色や虚飾なく、自分の記憶と過去に書いたブログの内容を頼りに、僕が28歳の頃に経験した生体肝移植と、そこへ至るまでの家族との軋轢と和解、その後の心情の変化を描いた私小説である。


 それ故に非常にパーソナルで、極限まで内省的な内容となっている。当事者や僕をよく知ってる人にしか、理解出来ない部分も多いと思う。

 多くの人に移植について知ってもらいたいとか、同じ境遇の人を勇気付けたいとか、そんな大義名分があってこの私小説を書いたわけではない。

 

 ただ、あの頃の一連の出来事を通して、「生きること」について僕は深く洞察し、言語化せざるを得なかった。そうしないと気が狂ってしまいそうだった。

 この私小説を書くという行為は、自分が信じ込んでいた「生きる意味」が根底から覆されてしまったあの日々の出来事に、どうにかして折り合いをつけて、新たな「生きる意味」を再構築する為の儀式だった。

 

 だから「エッセイ」ではなく、「私小説」という表現の方がしっくり来る。「エッセイ」は読者のニーズに合った売れる本を書かなければならないイメージがあるが、「私小説」は作者の人生そのものを表現する芸術だと僕は思っている。

 

 だから書店に並ばすとも、値段が付かずとも、ただ書き残す事に意味があると信じ、慣れない筆を取ってこの稚拙な文章を書いている。

 人の記憶や人生に値段がつけられないのと同じように、ただ純粋な生きる意思がそこに宿る事を願って。一足先に旅立った彼に、ちゃんと示せるように。

この小説と歌を残そうと思う。

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