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  • 執筆者の写真nigetasakana1231

春1

2022年―春―


 人生を旅に例えるのなら、いつだって旅の途中の僕らには出発も到着も帰還も、全てが経過でしかない。それでも、ある心の動く瞬間を「はじまり」と例える事は、人生にニ度や三度くらいは許されてもいいはずだと僕は思う。

 そして、「はじまり」があれば「おわり」があるように、何かがおわったからこそ、僕は今この駅のホームに妻と2人並んで、雲一つない青空を見上げている。

 

 僕には4つ歳の離れた弟が居た。兄とは違い、明朗闊達でスポーツ万能。友達も多かった。料理の専門学校を出てからは、名のあるホテルで調理人を勤めていた時期もあり、自分の店を持つ事を夢にしていた。

 僕はそんな弟に幼い頃から劣等感を抱いてはいたが、友達の少なかった僕には唯一の遊び相手であり、本音で何でも話せるような兄弟としての深い絆が確かに存在していた。

 

 定刻通りに列車は訪れ、僕らはそれに乗り込む。妻は隣で本を読み始めたかと思えば、すぐに寝入ってしまう。僕は窓際で頬杖をつきながら見慣れた街の風景を眺める。週末にランニングしていたコースをあっという間に通り過ぎて、電車は長いトンネルに入る。


 昨日の食事会の別れ際の母の寂しそうな姿を思い出す。最初の移植手術は弟が2歳の頃だった。

 まだ6歳だった僕は病院から退院した母と弟のお腹に大きな2匹のミミズが這っているのを見て、ひどく驚いた。だけど、それを見せる母はどこか誇らしげだった。

 僕は自分のお腹にも這っているミミズをそっとなぞってみる。僕にとっても、それは誇らしい勲章になるはずだった。だけど、今となってはそれはひどく虚しい悲しみの傷跡になってしまった。


 手術後、初めて浴室の鏡で自分の姿を見た時、そこには自分ではない知らない誰かが写っていた。自分の一部がお腹から取り出され、大切な弟の中で必死に動こうとしている事を、その時に感じた。

 厳密に言えば僕らは毎日、細胞単位で新しく生まれ変わっている。昨日そこで眠っていた自分と、今そのベッドを見下ろしている自分は既に別人だと言ってもいいのかもしれない。

 だけど、ひと夏であれほどまでに変化した人間は世界中を探しても僅か一握りだろう。外見が大きく変わった訳ではない。外見的な大きな変化といえば、腹の縦横に大きく開かれた傷跡と、痩けた頬ぐらいだ。

 最も大きく変わったのはその精神だった。あの日、僕の一部だった物が灰となって空へ登って行った時、確かに僕の中で何かが終わった。


 トンネルを抜けると、車窓には日本で1番大きい湖が太陽の光を反射して輝いていた。もう見飽きてしまった、その美しい景色も当たり前ではない事を思い出し、たまらなく世界が愛しくなる。妻の頭が僕の肩に乗っかって、電車の揺れと共に小さく動いている。僕も少しまどろみながら、あの夏の出来事を思い出している。

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