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  • 執筆者の写真nigetasakana1231

夏1

 僕の小学1年生の誕生日にひいおばあちゃんが死んだ。そして僕の28歳の誕生日には弟が死んだ。

ひいおばあちゃんが死んだ時とは何もかもが違っていた。あの頃はまだ、死が何なのかもよく分かっていなかった。だけど、「死のにおい」だけは同じだった。

 「死のにおい」ってどんなだっただろうか。仏壇の線香の匂いか。ひいおばあちゃんの部屋の独特な臭いだったかもしれないし、暑い夏の畳のすえた香りのようであったかもしれない。

 おそらく死のにおいとは記憶そのもので、夏に葬式ばかりしていれば、毎年暑くなるとその記憶と共に「死のにおい」が漂って来る。誕生日が来れば、嫌でもその日の事を思い出す。

 

 誰かが生まれた日は、誰かが死んだ日だ。そんな当たり前の事も忘れて、僕らは今日も生きている。

 脳死状態になった幼い男の子の肝臓が、僕の弟に移植されたように。誰かが死んで、誰かが生きる。

 しかし、命の総量は常に変化し続け一定ではない。誰かが死んだからと言って、同じ数だけ生命が誕生する訳ではない。誰かの臓器が分け与えられたからといって、必ず命が救われる訳ではない。


2018年―6月―


 その日、一羽の鳥が縁側から迷い込んで来た。大阪で彼女と過ごしていた僕は、その吉報を聞いて胸を撫で下ろした。

 鳥は実家の座敷の中を飛び回り、父と弟は箒を持って、必死に外へ出そうと奮闘していたらしい。それが弟が実家で過ごした最後の日の出来事だった。


 京都の病院に駆けつけた僕は、既に病院着を羽織って点滴をしている弟とハイタッチを交わした。

 その時に家族4人で撮ってもらった写真の中の弟は照れ臭そうに、だけど心から満ちたり、悟りを開いたような表情をしていた。


「また一緒にゲームでもしようぜ」

 点滴を押しながら、自分の足で堂々と手術室に向かう弟に、僕は好きなバンドの歌詞を引用して、最後の言葉をかけた。

「おう」

 弟はいつものように、ぶっきらぼうに返事をして背中を向け手を振った。手術室の扉が閉まり、弟の後ろ姿が見えなくなっても、僕らはしばらくじっとその扉を見つめていた。


 病室に戻ると、母が弟の手帳に書かれた一言を見せてくれた。

 

――すべてに感謝。生きることは素晴らしい――


 たったそれだけ書き残して、弟は扉の向こうへ行ってしまった。


 その時の僕には想像も出来なかった。自分より遥かに小さな子供の命を受け取る重さ。それを背負って生きていく重責。そして、自分のお腹を再び開くという恐怖。

 臓器移植の成功率は約70%。失敗すれば、大きすぎるリスクを伴う事も弟は承知の上だった。それでも、死んだように生きるよりはマシだと、彼はドナー提供者が現れるのを心から待ち望んでいた。


 胆道閉鎖症。生まれてすぐに、弟はその病を宣告された。肝臓の機能不全を引き起こす病気で、非常に危険な状態だったと言う。2歳の誕生日を迎える頃には黄疸が進み、弟の顔は真っ黄色になっていた。最初の生体肝移植が行われたのは、その頃だった。

 母の肝臓は、それから約20年。弟の中で順調に機能し続けた。しかし、弟が成人し働き始めた頃から状態が悪化。まともに仕事も出来ないほどに体が弱りはじめ、ついには休職。実家での療養を余儀なくされた。


 料理人への夢が絶たれた弟は引き篭もり状態となり、一日中ネットゲームをするだけの生活を続けていた。一人暮らしをしていた僕も、詐欺に遭ったり、手を大怪我したりして精神を病んで仕事を辞め、実家に戻っていた時期だった。

 おまけに父もリストラにより、自営業に転向しはじめていた時期で、思えばあれほど家族が苦しかった時期はなかったと思う。

 一番苦しかったのは母だろう。自分の肝臓が役に立たなくなり、さらに心が荒れていた弟に強く当られる事が増えた。

 

 久しぶりに家族で回転寿司に行った日も、母と些細な事で喧嘩になり、弟は店を飛び出した。

 僕は弟の後を追って、歩道を歩くその背中に声をかけた。

「もう少し大人になれよ。」

 今思えば、当然なのだけどブチ切れた弟に体中を蹴られまくった。昔から腕っぷしの強い弟には、よく怪我をさせられていた。だけど僕は反撃する性格ではなかったから、いつもされるがままだった。その夜も弟の気が済むまで蹴られ続けた。

 父も割って入り、ようやく落ち着いた弟を乗せて、車は夜の国道を走り出した。お寿司はまだ5皿も食べていなかったと思う。

 車内にはしばらくエンジンの音だけが響き、ほとんど誰も喋らなかった。後部座席でお互いに窓を流れていく街灯を見つめていた。

「ごめん」

 家に着く直前に、弟が消えそうな声で呟いた。

「こっちこそごめん」

 僕も消えそうな声で言った。

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