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  • 執筆者の写真nigetasakana1231

夏2

 夜の鴨川のほとりでは多くの恋人の影が肩を寄せ合っている。僕らも遠くから見れば、愛を語り合うそれと同じ影の形をしていただろう。

「明日すぐにでもドナー手術をしないといけないかもしれない」

 僕は彼女に事情を説明した。風が吹けばまだ涼しい、初夏の夜のことだった。


 家族の中で次に生体肝移植が出来る可能性があるのは僕だけだった。もしも、脳死ドナーの順番が回って来なければ、生体肝移植を本気で考えなければいけない事は聞かされていた。

 既に検査を終え、いつでも手術が出来る状態ではあったが、それがこんなにも早く現実の話になるなど思ってもみなかった。


 今回の脳死移植手術は簡潔に言ってしまえば失敗に終わった。いや、手術自体は成功したが、その後ドナーの肝臓が弟の中で機能をはじめなかったのだ。ICUでの透析によって、なんとか持ち堪えてはいるが、一刻の猶予も残されていない危険な状態だと聞かされた。


「ドナーになろうと思う」

 彼女には否定する事など出来なかっただろう。ドナーにも勿論、大きなリスクがある。手術中の事故、後遺症。お腹を大きく切る訳だから、今までのように歌えなくなる可能性が高い。

「弟を助けたい」

 普段は注射にすら怯える僕が、その時にはもう覚悟を決めていた。弟と二度と会えなくなる方が、よっぽど怖いと思った。


 不安気な表情の彼女の手を強く握る。彼女とも二度と会えなくなる可能性だってある。まだ、付き合って一年かそこらだったけれど、僕はきっと一生この人と生きて行くのだという強い確信を持っていた。

「絶対、大丈夫」

 頭上では川沿いに植えられた木々がざわめき、背後では車がせわしなく行き交っていた。京都の街の夜は次第に深くなっていく。



 

 その夜を病院で過ごし、いよいよ手術日の朝になった。僕は決まっていたライブに全てキャンセルの連絡を入れ、しばらくバンド活動を休止する事をSNSで告知した。


 おへそを綺麗に洗浄され、マジックでお腹に線をひかれた時、急に怖くなって逃げ出そうかとさえ思った。だけど、弟はこれまで何度もこんな恐怖に耐えて生き延びて来たんだと思うと、兄として負けられない気持ちの方が勝った。


 両親は僕に願いを託すかのような表情で、手術室へ向かう僕を見送った。あれだけバラバラだった家族が、この日から弟を救うという目的のもと、一つになった気がした。

 手術台のベッドに横向きに丸まるような形になり、麻酔科医が僕の首の頚椎あたりに注射針を刺す。まもなく、幕が降りるように意識が途切れ、僕は暗黒の世界へと誘われる。

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