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  • 執筆者の写真nigetasakana1231

夏8

手術から1か月が過ぎた。


8月4日


 その日、28歳の誕生日を迎える僕は、手術後初めて彼女の家で過ごすことを決めていた。

 彼女のお気に入りの店のケーキを買っておいてくれているようで、浮き足立ちながら彼女の住む大阪へと電車で向かった。


 手術後、心配をかけっぱなしだった彼女に今日だけは安心してもらおうと、精一杯明るく元気に振る舞った。彼女のアパートに着いた瞬間、スマホの着信が鳴った。


「今すぐ病院に戻って来て!」

 母の緊迫した声が聞こえて来た。

「え?今、大阪着いたとこなんやけど……」

「ええから、すぐ戻って来て!」

 彼女がアパート階段の上から心配そうに、こちらを見ている。

「ごめん、戻るわ」


 大阪に着いて5分も経たず、僕は来た道を引き返し、京都に向かった。昼ご飯もまだ食べていなかったが、彼女も着いて来てくれた。

 道中、会話はなかった。さっきと逆方向に流れて行く景色を眺めながら、僕は冷蔵庫に置き去りになっている誕生日ケーキの事を考えていた。暑い夏の昼下がりのことだった。


「夜までには帰って、ケーキ食べれたらいいね」

 そう口にしながら、心の中ではなんとなく分かっていた。


 病院の最寄りの駅に着き、病院に向かってしばらく歩いていると、叔父さんが車から顔を出し、すぐに乗るように促した。

 叔父さんの車で病院に辿り着き、小走りで弟のICUへ向かった。


 ICUには両親の他に叔父と叔母、母の姉がいた。彼らはICUに入って来た僕と彼女を見て、安堵の表情を浮かべた。

「良かった、間に合った。ほら、ゆうひに顔見せたって」

 弟の手を握っていた母が、僕を隣に招き入れる。この状況が何を意味するのか。弟の姿を見た時に全てを悟った。


「おっす!お兄ちゃんやで!元気かー?」

 弟は閉じていた目をゆっくり空けて、僕の姿を確認した。

「今日で28歳になったで!もう、おっさんや」

「そっか、今日せいちゃん誕生日やもんな」

 母の姉の一言で、再びICUにバースデーソングの合唱が始まった。弟の時と同じ。何故か入院してない僕が祝われるというシュールな光景だった。弟は何かを納得したように、天井に向き直り再び目を閉じた。

 

 久しぶりに会った親戚と話が弾み、その時のICUはとても賑やかだった。

「ちょっとトイレ行ってくるわ」

 父がICUを出て数分後、一定の弱い心音を刻み続けていた機器から突然、心音の停止を告げる高音が鳴り響いた。


「あれ?故障かな?」

 透析の機械がたまにブザーを鳴らす事があったので、僕は最初その音かと思い、透析技師を呼ぼうとした。

 しかし、すぐさま数名の医師がICUに入って来て、弟の心音、呼吸、瞳孔を確認する。

「ゆうひさんの死亡が確認されました」

 医師がこちらに向き直り、その言葉を告げる。

 父がトイレから戻り、停止したモニターを見てベッドに駆け寄る。

「ゆうひ!うわあぁぁぁ!」

「嘘や……これは夢や……夢に決まってる……」

 頭の回線がショートし何も考えられなくなる。涙がとめどなく溢れ、気付けば彼女のお腹に顔を埋めて泣き叫んでいた。彼女は両手で僕の頭を抱きしめ、啜り泣いている。

 母は弟の冷たくなっていく手を離そうとせず、大声で泣いている。親戚の誰もが信じられないという表情で立ち尽くしていた。


「助けてあげたかった……力及ばず本当にすみません……」

 弟が2歳の頃から診てくれていた主治医が顔をくしゃくしゃにして悔し涙を流した。普段、温厚なその顔を悔しさでいっぱいに歪め、僕達に頭を下げた。

 看護師達も駆けつけ、誰もが弟の為に涙を流した。

「先生。顔をあげてください。今まで本当にありがとうございました。皆さんも、本当に今まで弟を大事に診てくれてありがとう」

 母は弟の手を離し、スタッフ達に深々と頭を下げた。


頭がハッキリと働かないまま、その後の死亡手続きについての確認と説明があった。他の親戚も後から駆けつけ、葬式の準備やらなんやら打ち合わせを始めた。

「まさか死ぬてなことあるけ」

 駆けつけたおじいちゃん、おばあちゃん。母方のおばあちゃんも、弟の亡骸を見て、泣き崩れた。

「順番が逆や」


 父は親戚を率いて、一足先に実家に戻った。

「とりあえず、何か食べた方がいいよ」

 気付けばすっかり夜になっていた。朝から何も食べていない。こんな時にでも腹は減る。僕は彼女と病院のコンビニへ向かい、弁当を買って食べた。

 彼女は電車で一旦、大阪へ戻った。僕と母は、弟と一緒に寝台車で滋賀の実家に戻る事となった。


 病院のスタッフは深々と頭を下げて、僕らを乗せた寝台車を見送った。

「やっと家に帰れるよ。よかったな、ゆうひ」

 母が弟に語りかける。

 その夜はあまりにも暗く、途方もなく長い距離を走っている感覚だった。あの日、二度と帰らないと誓った我が家が恋しかった。

「よう頑張ったな。ゆうひ」

母は弟に語りかけ続ける。

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