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  • 執筆者の写真nigetasakana1231

夏4

お腹の傷は順調に回復し、僕は個室から大部屋へと移された。

 スマホにはたくさんの通知が届いていた。その年の7月は広島で記録的な豪雨が観測され、テレビでは大量の泥水に街が沈んでいる様子が繰り返し報道されていた。そんな中、出演予定だった神戸のサーキットフェスも安全を考慮して開催延期となった。僕が手術の為、出演キャンセルの連絡をしてから一週間が経っていた。

 

 あの日、カラオケボックスで僕の電話を聞いてくれた先輩のバンドも出演する予定だったフェスだ。その人からのメッセージを読んで、僕は涙が止まらなくなった。


 移植手術をすると決めた日。弟が助かるなら、もう音楽が出来なくなっても良いと思った。無事にみんな助かったら、彼女と結婚して田舎でのんびりと残りの人生を過ごそうと決意していた。しかし、その決意は簡単に揺らいでしまった。


「お前の曲は最高だから。また必ず対バンしようぜ」

 大学を出て、就職したての頃。何度も救われた憧れのミュージシャンにそこまで言ってもらえた事が本当に嬉しくて、まだ音楽を捨てきれない自分が情けなくて、僕は涙が枯れるまで泣いた。


 バンドのメンバーが会いに来て、暇つぶし用のボードゲームをプレゼントしてくれた。

「早くまたバンドやろうぜ」

彼は照れくさそうに言った。

 

 彼女も仕事を休んで頻繁に会いに来てくれた。多少冗談も言えるようになり、彼女もやっと笑ってくれたのを見て、心から安心した。

「全部終わったら結婚しよっか。プロポーズはちゃんとするね。病室以外で」

「うん」

 本当に幸せだった。

 

 バンドを続ける事で、僕は職場や家族に迷惑をかけ続けた。だけど、同じくらいにバンドをやる事で僕の人生は彩られた。

 だからこそ、もう十分だとも思えた。結局、バンドを続けられたのも家族の助けがあったからで、会社が給料を払ってくれたからだ。自分一人で決めてやって来たつもりでいたけれど、僕以外の誰がいなくても僕の人生や音楽は成り立たなかったのだと思う。


――全てに感謝――


 弟が手術前に手帳に書き残した言葉を思い出す。その本当の意味が、僕も死の淵に立った事でようやく分かった気がした。

 生活があってこその音楽。命があってこその芸術。僕を縛り付けているように感じていた無数の糸は、僕を世界に繋ぎ止めてくれていた糸だった。


 汗水垂らして働いてくれた父。心を鬼にして厳しく育ててくれた母。産声を上げた日。初めて歩いた日。風邪をひいた日。いじめられて学校を休んだ日。ギターを教えてくれた日。その一日一日のどれが欠けても、今の僕はなかったし、僕の音楽は生まれなかった。

 そして、その音楽で出会えた友達。バンドメンバー。憧れのミュージシャン。出会い、別れた人々。そして出会えた最愛の人。

 十分過ぎる人生だと思った。

 

 テレビでは家が流され、娘の行方が分からなくなってしまった父親が、カメラの前で悲嘆に暮れている映像が流れていた。

 神様。僕はもう十分です。せめて手が届く距離にいる僕の大切な人だけでも。どうか救ってください。弟を助けてください。

 僕は何度も祈った。

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