「よくやった!でかしたぞ!」
意識が戻って最初に聞こえたのは父の声だった。あれだけ嫌っていた父の声を聞いた時、何故か心からホッとした事を覚えている。
寒い。
最初に感じたのは寒さだった。悪寒が全身を包み、ひどく喉が渇き、呼吸をするのが難しかった。生まれて初めて酸素ボンベをつけられ、ストレッチャーで病室へ運ばれて行く間に、たくさんの声が上から降り注いだ。
母、母の姉、おじいちゃん、おばあちゃん。泣きそうな安堵の声が何度も頭の上で往復していた。
「あいつは?」
僕は真っ先に聞いた。
「大丈夫や!絶対助かる!」
母が力強く答えた。良かった。これで助かる。みんなこれで、元に戻れる。
二度目の手術も非常に長時間に及んだ。一度目の手術の時にも僕と家族は病院の控え室に泊まり込み、徹夜で弟の帰還を待った。
そして、今回は彼女と家族、親戚までもが僕と弟の無事を控え室で夜通し願ってくれていた。
あれだけ嫌い合っていた僕らは、やっぱり家族だった。悔しいほどに、それでも家族だった。
その夜から数日に渡る痛みとの戦いは、筆舌に尽くし難い物だった。覚悟はしていたものの、想像の何倍も痛く苦しい数日間だった。
初日は麻酔が深く効いているせいで、そこまでの痛みはなかったが、高熱にうなされ、何度も悪夢を見た。
彼女は仕事を休んで、付きっきりで側にいてくれた。それがどれだけ、心の支えになったかは言うまでもない。
足は床ずれしないように、常にクッション型のマッサージ機で圧迫されていて、それがなんとも気持ちが悪かった。目覚め、眠りを繰り返すだけの無限にも感じる時間が過ぎて行った。
家族や親戚が代わるがわる見舞いに来て、時折先生が経過を診に来る時以外は、何の変化もない病室の白い天井をひたすら見つめているしかなかった。
麻酔が切れてくると眠れもしない程の痛みに襲われ、その度に看護師を呼んで麻酔を入れてもらった。そんな中でもずっと、弟がどうなったのかが一番気がかりだった。
彼女が仕事に戻る為に部屋を出て行く時の事を、今でも覚えている。
「またね」
気丈に振る舞ってくれていた彼女の声は震え、鼻をすする音が聞こえた。僕はとても申し訳ない気持ちになりながら、病室のカーテンが夕方の風に揺れるのを見ていた。
三日目には酸素ボンベも外れ、自分で点滴を持って歩く練習が始まった。立ちあがろうとすると、今まで経験した事のない激痛をお腹に感じ、とても立つ事は出来なかった。
担当の看護師が懸命にリハビリを手伝ってくれたおかげで、次の日にはなんとかトイレまで歩く事が出来た。その次の日には廊下の一番奥へ行って、戻って来る事も出来るようになった。
お風呂を許可され、初めて自分のお腹の傷跡を見た時、初めて実感が湧いた。
一生この傷と生きて行くんだ。
数日ぶりのシャワーは天にも昇る心地だった。
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